私の生まれたのは、福島県福島市。
そこに80歳になる母が住んでいる。
盆と正月には何とか帰省して顔見せだけは欠かさずしてきた。
ここ数年は孫の顔を見るのを楽しみにしている。
毎年行われているそれが、今年はちょっと違った。
隣接する市町村には避難指示が出され、福島市だけでも1000人近いの園児や児童が転園・転校しているそうだ。
それもそのはず、実家のすぐそばの幼いころに遊んでいた公園(徒歩30秒)は2.73μSv/h、すぐ裏の川原(こちらも徒歩30秒)においては5μSv/hという恐ろしい数値が計測されている。(福島市の計測)個人の計測ではもっととんでもない数値が公表されている。実際に子供の尿からセシウムも検出されている。“内部被ばく”当然、水や食物までもが汚染されていたことになる。
福島市は避難指示が出されている市町村と何ら変わらない状況だった。「人口が多すぎて避難指示を出せないだけなのだ!」と私は直感した。
そんな状況をちょっと痴呆が入ってしまった年老いた母にはとてもわかってもらえない。原発の事故さえよく分かっていなかった。
それでもお盆はちゃんと分かっている。
私は苦渋の選択を強いられ日帰り福島行きを決行した。
それは母に次の正月が来る保証がないからだ。
福島インターを降りると、夏休みなのに外で遊ぶ子供の姿がない!
校庭をブルドーザーが削っている。
私も子供をなるべく車や家から出さずに過ごさせた。
それでも子供は10分とじっとはしていられない。
仕方なく気晴らしに近くのホームセンターへ連れていく。
店内をしばらく走り回って、最後に花火を選ばせレジに並んだ。
レジのおばさんが福島弁でこう言った。
「花火かい! いいの買ってもらったね、でもやるところがなくなっちゃったね。」
長沢 幹夫